核最終廃棄場
もうひとつ開いている別のブログへの投稿が忙しくて随分と空いてしまった。
私の好きな聖書のエピソードに次のようなものがある。
イエスを陥れようと考えていた律法学者たちは、イエスにユダヤ人たちがローマに税金を納めることは正しい事かと質す。どちらを是と答えてもイエスは窮地に陥る。そこでイエスは律法学者たちに、銀貨を見せなさいと答える。そして「ここに彫られている銘は誰のものか」と尋ねるのだ。「皇帝のものです」と律法学者が答えると、イエスは「ならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えるのだ。
記憶だけで書いているので、細かいところは間違いがあるかもしれないが、大意はこんな感じだ。
このエピソードで私が考えたのは、核の最終廃棄場のことだ。どの地方自治体も自分のところに廃棄場が来るのは困ると反発している。原子力発電所誘致で潤おうとも、原子力発電による電力を湯水のごとく使おうがである。
私は原子力の専門家ではないので、正確には知らないのだが、原子力利用によって放射性物質は増えないのではないかと思う。核融合ではそうとも言えないかもしれないが、今のところ核融合による発電は成功していないし、成功の目途も立っていないのでそう言い切ってもいいだろう。放射性物質は、その成分毎に違いはあるが、それぞれの半減期によって減りこそはすれ増えはしないだろう。
そこでの提案だ。原子力廃棄物はそれを作り出した大元のウラン鉱山に返したらどうだろう。勿論只で突っ返すという訳ではない。核利用によって利益を得た分に応じて、対価を支払って元のウラン鉱山にお返しするのだ。
核は誰のものだろうか。神のものでも人類のものでもないだろう。産み出したのは、地球のコアであるマグマではないだろうか。それならば、元在ったところにお返しするというのが筋ではないだろうか。