鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

特定秘密保護法

2014227 ()

特定秘密保護法

 このところ、あまり騒がれることが無くなった話題の特定秘密保護法。喉元過ぎればの
典型のようだ。


 この話題に関して、あまり語られないので気になっていることがある。人は皆、同じでは
ないということだ。「人はみな平等」という言葉がある。単純過ぎて誤解を生みやすい言葉
だ。自分なりに言葉を加えて解説してみると、「人は皆、平等でありたいと思う。」が正しい
のではないだろうか。平等でありたいのは、平等ではないからで、何故、平等でないかと言
えば、人は皆、同じではないからだ。


 何を言っているのか判らないと思うので、もう少し解りやすく説明してみよう。人は皆、同
じではないというのは、人は幾つかの種類に分けられるということだ。色んな分け方がある
と思うが、ここでは単純に二つの異なる物差しを使って人を4種類に分けるということを考
えてみよう。


 最初の物差しは、善人、悪人という物差しである。人には善人と悪人があるというのに異
論を唱える人はないだろう。物凄い悪人も、ちょっとだけ悪人も居るし、善人側もそうだ。す
べての人はこの物差しの上の何処かに居る。

 もう一つの物差しは、賢者、愚者という物差しだ。あまり認めたくないことだが、賢者、愚
者という物差しのどこかに人は居て、この物差しで測って、人は皆同じではない。


 この二つの物差しを直交する座標軸にして、人を四つの象限に分ける。賢者で善人の
人、愚者で悪人の人という具合だ。賢者だが悪人、愚者だが善人ももちろん存在する。


 さて、ここで本題に帰って、秘密という話題に戻ろう。秘密というのは、誰かは知ってい
て、誰かは知らないという事実の事だ。この誰かというのを先の四象限の人に当てはめ
て考えてみる。

 賢者で悪人という人だけが秘密を握ったとしたらどうだろう。世の中にとってあまり宜しく
ない事態だというのは想像に難くないだろう。善人だが、愚者。こういう人にある秘密を握
らせたらどうだろう。あまり碌なことにならないのも想像に難くない。悪人で愚者。これは最
悪。やはり世の中にとって、誰にでも知られるのは不都合なことというのは、賢者で、善人
だけが知っているという状況になっていて欲しいものだ。


 不都合なこととは?一番判りやすい喩えは、例えば原子力発電所の弱点。青酸カリの入
手方法などがある。誰かが知っていなければならないが、誰もが知っているのは都合が悪
い。


 こういうことは、賢者で善人の人だけに知っておいて貰いたい。知る権利などと言う理屈
で、愚者で悪人という輩や、賢人なのに悪人という人たちに知られてもいいことでは決して
ない。


 

 ここまでの論理は単純明解で異論をはさむ余地はないだろう。問題はここからで、どうや
ってこの物差しで人を測るかが難しいということだ。


 悪人か、善人か。これは大抵の人は他人には判らないように隠そうとする。特に悪人側
はそうだ。だから、これは見破らなければならない。誰にもで出来るということではない。


 賢者か愚者か。これはある程度、テストで知る事が出来る。設問への解答ということで露
わになってしまって隠しようがない。しかし現代の、というか戦後の間違った似非民主主義
の社会では何故かこの事に触れるのはタブーとされてきた。誰だって、賢者、愚者という物
差しの上で、何処に居るのかを世間に公開されるのは、気分のいいものではない。だから
そんな評価尺度はなかったかのような顔をしたがる。


 しかし、である。世の中に誰もが知っては困る秘密というのが存在する限りは、それを扱
える、扱うべき人を選定するこの二つの物差しで人を測って選別しなければならない。それ
をなかったことにするのは、世の中にとってとても不都合なことだ。


 賢者なのか愚者なのか。善人なのか悪人なのか。それをどうやって判別するのか。特定
秘密保護法を議論する上においては、避けて通れない道だと私は思う。それが議論されな
いのが、今の世の中の問題なのだと思う。