鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

最早テレビなんぞを観ている場合じゃ・・・

2014223 ()

最早テレビなんぞを観ている場合じゃ・・・

 いつも贔屓にしているラジオ番組で海外の視聴者投稿から、NHKワールドという、公営

放送を標榜している半民半官放送局から海外へ無料(日本国民からは無差別に搾取して
いる聴取料なる原資を無断で流用して)で発信しているネット配信で、日本は過去に多くの
女性を日本国軍人を性的に奉仕させる事を強制させたと、断言的に英語のみで自国民に
はばれないように報道したとの放送をしていたと報じられた。それが前回のブログ記事で
ある。


 その事の真偽を確かめようとネット記事を漁っていて、見逃していた国会答弁で上記内

容について、維新の会の議員が追及しているという動画を観ることになった。1時間を超え
る内容で、一回では観切れなく、二日に亘ってじっくり観させて貰った。

 

 更にその派生で、NHK経営委員であるらしい、百田尚樹作家が東京都知事選におい
て、支持する候補の対立者に対して人間のクズと称したとして弾劾されている報道を耳に
して、事の真偽を確かめる為にまたまたネットを検索してようやくその応援演説の動画に
辿り着いた。これも25分を越える長物であった。

 私は日本のテレビジョン放送と人生を共にしてきたと言っても過言ではない。放送事業に
携わったという意味ではなく、人生がテレビジョンの放送の歴史と時期を一つにしていたと
いうだけのことである。それだけに私は人に憚ることのないテレビフリークである。特にテレ
ビドラマにおいては、ほぼ全作品を各クール毎に最低初回だけでも観る事を怠ることはな
い。ま、それはともかく昨今の若者のテレビ離れを理解出来ない者の一人であった。


 しかし、昨今、テレビというマスメディアに対して大いなる失望と疑惑の念を禁じ得ない。
世の中で起こっている事と、マスメディア、とりわけテレビと新聞の報道の間の乖離には
愕然とせざるを得ない状況にある。


 冷静に気づいてみると、大手新聞社と大手テレビ局との間には切っても切れない関係が
ある。新聞社については、もう20年以上も信頼関係はなく、定期購読することはなくなって
いる。テレビについてはNHKへの不信から徐々に信頼感を失いつつあったが、冷静に考
えて金力からの支配から本来逃れられる唯一の放送局ですらその体たらくなのだから、
民間放送局がよからぬロビーイングの影響から自由である訳がない。


 

 今現在、唯一報道で信用しているのは、S新聞社系列のN放送局がやっているラジオ番
組。S新聞社としてはその系列である出版部門では信用しているものもあるが、Fネット局
も、S新聞社自体も懐疑的な目で見ざるを得ない。さきのブログ記事で、Y新聞社系列の
Nテレビ局については報道の自由について、存亡の危機を賭けながら善戦していることを
述べたが、Nテレビ局自体については全幅の信頼をおいている訳ではない。

 この10年ぐらい、M新聞系列のT放送局が日曜の朝流している報道番組を、自分として
は信頼を置いて毎週欠かさず観ていたのだが、ここ最近はコメンテイターの発言になると
早送りをして、事実の報道の部分のみを観るように変えている。このコメンテイター等の発
言は信用が出来なくなってきたからだ。自分としての視点をきっちり持って、発言者の発言
内容の真偽を見極めながら観ていれば問題は無いのだが、番組を観ていて(それは違うだ
ろ!)と心の中で突っ込みを入れるのに疲れてきたというのが本音だ。コメンテイターの発
言が似たり寄ったりなのに局や親元の新聞社からの指図がぷんぷん臭ってきて、嫌らしく
てまともに放送を観ていられないのだ。


 今の若者のテレビ離れ、若年層の東京都知事選での田母神候補の高支持率などは、何
か通じるものがあるのではないかと思う。我々の年代でのテレビ報道、新聞報道に対する
神話の呪縛から自由であることが難しいというのが本質にあるのではないかと思う。

 それで冒頭のテレビなんか観ている場合じゃとなるのだが、テレビでどっぷり浸かってき
た世代の一員としては1時間超や30分近いネットの動画を観続けるのはいささか辛い。
その点では昨今の若者に敬意を表したい今日この頃である。