鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

驕りと怠り

2014210 ()

驕りと怠り

 arrogance & negligence 人生を掛けて自らの戒めとしているふたつだ。為政者には厳しく戒めとして貰いたい概念だが、得てして為政者ほど陥りやすい罠でもある。

 その最たるものが道路交通施策、特に自転車に関するものだ。

 昨年、道路交通法が改正されて、自転車の右側通行が罰則を備えて禁止されることになったと聞いた。改正法文をまだ読んでないので、正確なところは理解出来ていない。しかし、元々自転車は車両の一種とされていて、例外を除いて車道を左側通行しなければならないとされている。この規則はしかしながら、全くといっていいほど守られていない。

 改正のきっかけは、細い路地で右側通行する自転車と左側通行する自転車が正面衝突の事故を起こす危険性が高まっているからだと、テレビの報道では聞いた。なにを今更である。

 こういうのを驕りと怠りと言わずして何と言おうか。

 自転車交通事情が最悪の状態になっているのは、施政の怠りによるものである。道路交通法では自転車の右側通行を禁じておきながら、人々がそれを守らないのに何の手も打ってこなかったからだ。一般常識のある人でも、自転車の右側通行はまずいと思っている人は殆どいない筈だ。問題は中途半端な施策で、自転車の歩道走行を可としたことに端を発する。

 お年寄りから子供まで利用する自転車に、車道の左側通行を強いるのはそもそも無理がある。だから歩道走行を可としたのだが、その時のやり方が如何にもおざなりなやり方で道路標識のある歩道に限りという限定付きにした。やみくもに歩道を走行していいという訳ではないと逃げを打っているのだ。

 このやり方にはいろんな点で無理がある。自転車走行可の歩道を示す標識を立てられる数には限りがあるということだ。細い路地から歩道付きの大きな道路に入る。この際に、その歩道付きの大きな道路が自転車走行可かどうか、それを示す標識が立っているかどうか。殆どの場合、否である。歩道付きの道路に繋がる脇道の全てに標識を付けていたら、きりが無い。多くても数10mに一本あるか無いかである。したがって、殆どの自転車利用者は、少し走って漸く標識があることに気づく。あるいはあっても気づかない。必要な場所に無い標識など、意識して見なくなってしまうからだ。

 次の問題点は、歩道の右側通行が可なのか不可なのかはっきりさせていない点だ。この場合の右側、左側は二つあって、車道の中央線から見て右か左かという点と、歩道の中の右端か左端かという点だ。このことが明示されていないまま、一部の歩道では自転車は走行可となっているのだ。こんな訳が判らない法律だから、誰も守ろうとしなくなる。

 数年前、自転車で街中を走っていて、右折してきた無謀な運転の乗用車にぶつけられそうになって転倒して怪我をしたことがある。この事故をきっかけとして道路交通法の本文を詳細に読んでみた。その時に、先の歩道での自転車走行の右側通行、左側通行についてはっきり記されていないことを知った。いや、知ったというより、自分が読んだ範囲でははっきり明示されているとは思えなかったのだ。

 それでその時、NPAつまり警察庁の窓口へ問合せの電子メールを送った。すると暫くして電子メールの返信で、警察庁のホームページでは、個別の案件については問合せは受けられない。地元の警察署へ問い合わせてくれというのだ。すぐにこれは、個別の案件についての問い合わせではなく、一般論としての質問だと問い返し直したのだが、全く無視されて遂に返事は来なかった。

 

 いい加減に決めた法律を押しつけておいて、それの不備を直そうという努力をしない。法律が周知徹底される為の努力すらしていない。これが驕りと怠り、傲慢と怠慢でなくて何だろうか。

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