スポーツを国家が律する
この所、毎日の報道バラエティ問題がスポーツの不祥事で埋め尽くされている。しかも、それぞれが皆、似通っていて時々何の報道を見ていたのかごっちゃになって分からなくなるほどだ。時系列的に思いだすのも難しい。
最初は日馬富士の暴行事件だったと思う。その後伊調馨・栄監督のパワハラと続き、日大アメフト暴力タックル、そしてアマチュアボクシングのドンと続いてきた。
そもそもスポーツというものはこうした悪の温床になりやすいのかとまで思ってしまう。
こうした中で、よく聞かれるのは「スポーツ庁は何をしているんだ!」という声だ。たしかに鈴木大地長官のコメントは生温く、何となく他人事だ。もっとやれる事がある筈だと私だって思う。
しかし、一歩引いて、冷静になって考えてみると、国家が特定のスポーツに対し干渉し、その運営を律するというのは怖ろしいことだ。下手をすると中国や北朝鮮のようになりかねない。国ぐるみでドーピングに加担したというロシアだって似たようなものだ。
今回の日大アメフト暴行タックル事件の際には、アメリカにはNCAAという大学運動競技の不正を防止する組織があり、日本でも早くこういうものを作るべきという議論もあったようだ。しかしよく調べてみるとアメリカでもこのNCAAそのものが利益第一主義に走って弊害を生み出しているという。スポーツに権力が結びつくと碌な事はないといういい例だろう。
スポーツと戦争は共に人と人の闘いだ。オリンピックは国と国との戦争を無くす為に古代ギリシャで生まれたとされている。スポーツと戦争の違いは何かというと、明確なルールがあるかないかかもしれない。このスポーツにおけるルール(この場合のルールは試合中の違反行為に関するものに留まらず、代表選手の選出方法、指導者の育成や任命人事に関するもの、費用の捻出方法などまで含む広義のものを差す)を厳密に遵守させる為には権威のある組織が必要だ。しかしこの権威ある組織が権力を持つようになると、そこに不正の芽が生じ始めるのだ。その不正を糺す権力が国家レベルにならないといけないとしたら、その国家レベルの権力が暴走を始めた時は為す術があるのだろうか。