鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

失業保険

20143 7 ()

失業保険

 私は訳あって、定年で会社を辞める事にした。おかしな時代である。定年で会社を退職
するのにも、訳が必要だ。年金の支給開始年齢の上昇に伴って、国までが定年を超えて
就業、雇用を推奨している時代だ。周りを見回しても定年で無職になる人は滅多にみか

けない。

 ま、理由はともかく、退職したので、失業保険の請求手続きをおこなったのだ。

 退職前には、失業保険は貰わないつもりにしていた。そもそも失業保険とは、働く意志が
あるのに、職が無く、再就職出来るようになるまでの一定期間収入を援助して支えるものと
いう理解だった。私には当初から60歳を超えて、所謂就業という形の仕事をするつもりが
無かったのだ。

 ところがある人のアドバイスを得てから、受給申請をすることにした。その方から受けた
のは、健康保険、年金、失業保険、税金等々の退職に関わるいろんな手続きについてだ。

 その中で、失業保険に関しての自分の意見を述べると、その方は「それは、そうだ。私も
若い人にはそう教えている。しかし・・・ 」ということから始まった。

 失業保険を放棄するには、それはそれで面倒な手続きが要るというのだ。(は?放棄?)
その言葉を聴いて頭にピンと閃いたものがあった。社会の欺瞞を垣間見た気持ちだった。

 もしかしたら、私たちは騙されていたのかもしれない・・・と。


 日本人には日本人特有のある感性がある。日本国の成り立ちにも関わるものだ。それは
「お上から頂く」 という概念である。日本国に我々日本人が今日生きていけるのは、日本国
をお造りになった天皇様の祖先が我々に土地を分け与え、住まわせて下さっているからだ
というような観念である。それが悪いとは実は思っていない。

 しかし、何かにつけてこのように思考する傾向にあるので、騙されやすいという事も出てく

る。失業保険がまさにそれだ。お上から頂くのに、不正があってはならない。受給するには
働く意志があることが条件とお上が言っているのだから、そんな意志も無いのに受給する
のは不正である。と、まあこうだ。

 しかし、本当なのだろうか。

 保険というのは、そもそも将来の何かが心配だからお金を預けて、または支払って、何か
将来ことが起こったら、その不都合の補填として貰うものである。

 掛け捨てのものもあるし、満期があって、それまで何事もなかったら掛け金と利息を返し
て貰うタイプもある。そもそも、保険は個人の意思で入るもので、任意のものだ。

 しかし、事、失業保険に関しては、微妙にこの事をはぐらかしている。任意なのかどうか、
掛け捨てなのかどうか。そもそも月々給料から天引きで引かれている雇用保険なるものの
お金の持ち主は誰で、そのお金の行く先はどこにあるのか。そんな事は一度も説明聞いた
ことがない。

 失業してしまう不幸な人が居る。再就職しようにも就職先が無い。可哀想な人だ。だから
皆で、少しずつお金を出し合って、その人たちの為に分けてあげようよ。これは寄付(みた
いなもの)なんだよ。そうは言わないのだが、なんとなくそう思わせているとしか思えない。

 自分は退職はしたけど、そんなに不幸ではない。取りあえず生活するだけの貯えもある。
別に無理に失業保険の給付を受けなくてもいいか。そんな人は多からずだが居るだろう。

 しかし、いざ給付を求めないとなったら、放棄の手続きをしろとなる。

 放棄?・・・、あれっ。それって権利だったの???

 社会人となって就業開始以来、毎月のように給与から勝手にある額が天引きされる。
そのお金の持ち主も行く先も説明されない。その保険に加入するかどうかも訊かれる事
はない。すべて勝手にである。

 退職したのちに再就職する意思があるかどうかを受給の条件にすることの正当性を
理屈付けるものがあるのだろうか。少なくともその保険に加入する際に説明責任がある
だろう。それで納得して加入したのなら、ある程度の正当性はあるかもしれない。

 しかし・・・である。一切説明がなくて、いざ受給という段になったら、これはこういうもの
なのですよと言い始めるのは詐欺ではないだろうか。

 そもそもが再就職する意志なんてものは第三者が正確に把握出来るものなのだろうか。

 こういう場合にお役人が考えるものは、意志確認の証拠取りだ。つまり放棄手続き。

 

いや、私が支給しないって言ったんじゃないですよ。貴方の意志でしょ。放棄するって仰っ
じゃないですか。・・・ってね。