鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

ゴミの分別処理とリサイクル

 つい先日ゴミの分別処理とリサイクルについて話していた。その中で知り合いに市役所の清掃課に勤めている人にリサイクルはしているのか訊いたところ、そんな事したら幾ら掛かると思ってるんだよと言われたというのがあった。

 前に書いたかもしれないが、私も以前からゴミの分別をしてもリサイクルはしていないだろうとにらんでいた。プラゴミはおそらく、燃えにくい生ゴミを燃やす際の加燃剤として利用しているのだろうと踏んでいる。これは取材した訳でもその場を目撃した訳でもない。推理しているだけだ。

 よく地球の為に紙ゴミを再生紙にしてトイレットペーパーとして使うという話がある。これはしかし欺瞞だと思う。紙ゴミから新たなゴミを作っているからだ。まずは紙を分解して溶かす為に薬品を使う。その薬品は廃液として地球のどこかに捨てられるのだ。それは確実に地球上の水を汚していく。溶かして全部が再生紙の原料になる訳ではない。インクなど紙の成分でないものが泥状の新たなゴミとして発生する筈なのだ。そして再生紙のトイレットペーパー自体も最後は水で流すので、その排水が地球を汚していくのだ。

 似た様な話で、郡上八幡では街角を流れる川の水が綺麗で、その水で野菜を洗ったり、衣服を洗濯したりするという話がある。しかしこれも下流の人にとってみたらたまったもんじゃない。下流での水は確実に汚れてから流れてくるからだ。勿論、昔からの諺で「三尺流れれば水清し」というのがある。川には自浄作用があって、川として流れている間に微生物による分解などで次第に汚れた水も綺麗になってくるというものだ。全くの嘘ではないと思うが、全ての汚れがなくなる筈はない。

 私の以前からの持論で、ゴミは燃やすのが最も地球にやさしいと思っている。焼けば二酸化炭素がいっぱい発生するではないかという人がいるが、それは地球上に植物をどんどん増やして光合成をさせればいいだけの話だ。つまり地球を使ったリサイクルだ。炭素と水素以外の元素も燃やされるものには一部あるが、地球上の殆ど全ての元素が単純な酸化物として元々地球に存在している。金属にしろ、硫黄などの非金属にしろ、人間が集めて精製、還元して純粋なものにしてから再利用している。燃せば元々地球に存在していた時の形に戻るだけだ。

 とかくリサイクルで地球にやさしくなどと嘯いている人間に限って、ちゃんとした知識も持たずに偉そうにしているだけだと私は思っている。