鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

花粉の潮目

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 私は花粉症のヘビー・ペイシェントを自認している。最初に発症したのは80年代初め頃だから、かれこれ40年近い付き合いになる。だから花粉シーズンの変わり目には敏感だ。

 前から思っている事だが、花粉シーズンには潮目がある。終りというのとはちょっと違う。最盛期を過ぎた今頃、ふと気づくと外に居る時より、家の中のほうで花粉を強く感じるようになる。こうなると、窓を一気に解き放って家の中の空気を全部入れ替えるほうが楽になる。

 おそらくは花粉がスギの樹の蕾や花から吹き飛ばされて空中に舞うのが主体の時期と、既に飛散した花粉が再び風に飛ばされて舞い上がる時期への移行があるのだろう。

 先日、吾妻山公園という小高い山になっている公園を散策した。菜の花の名所なので、例年1月の終りか2月の初め頃訪れることにしているのだが、桜も綺麗だというので、今年は時期をずらして4月になってから行ってみた。いつもは花粉を感じながら、従ってゴーグルで眼を守りながら登る。しかし、今年はゴーグルは全く不要だった。何故だろうと考えたのだが、山を歩きながら踏みしめている地面を見ていて気づいた。私が普段暮らす街の中の地面と全く違うのだ。舗装は全くなく、剥き出しの地面か敷き詰められた落ち葉の上かでしかない。つまり一旦飛散した花粉は地面に落ちるや、地面の中に吸い取られてしまうのだろう。それはそうだ。花粉は本来、地面の中に吸い取られてこそ、次に発芽することが出来るのだろう。

 私達が棲む街中ではそうはいかない。至る所アスファルトジャングルである。舞い落ちた花粉は吸い取られることなく、再度風が吹けば舞い上がり、それを何度も繰り返すのだろう。最後は何度かやってくる春の雨で少しずつ排水溝に流されて花粉のシーズンがやっと終わるのだろう。

 家の中でも同じで、窓の隙間から舞い込んだ花粉は何かに吸い取られることがない。あるとすれば掃除機の吸い込み口の中へだろう。へたすると掃除機の排気口から再び室内に舞い散るかもしれない。

 吾妻山公園でさっぱりした気分になった後、家に帰ってきて再び花粉の痒みに悩まされている。ああ、誰か花粉を吸着する能力を持つアスファルトを早く開発してくれないものだろうか。