鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

丸山議員バッシングに物申す

 随分久々に記事を更新します。

 戦争発言で維新を除名され、更には殆どの野党から議員辞職勧告が出される事態になった丸山議員についてちょっと思うことがある。

 私は丸山議員の発言の全貌を完全に把握している訳ではないので、彼を擁護する発言をする立場にないが、ひとつ言いたいことがある。戦争という言葉に過剰反応して、戦争という言葉を使うだけで議論から排除しようという幼稚なメンタリティをそろそろ日本人は卒業すべきなのではないか。

 今、丸山議員を議員辞職勧告してやめさせようとしている野党の人達の動きはまさにそれではないか。本当にすべき事は辞めさせることではなくて、戦争によって国土を確保したり奪還したりすることの是非について徹底的に論議することで、議論を封じて戦争という言葉を無かったことにすることではないと思う。それは駆逐艦護衛艦と呼べば許されるとか、いずもは空母ではなく護衛艦だというような虚しい空論でしかないと思う。

 戦争というものに目を背けずに直視しながらきちんと論議して、どうすれば平和な世界が築けるのかを真剣に議論しなければならない時期に来ていると思う。ほんのちょっと前に現実に武力行使ウクライナからクリミアを奪い取ったロシアと北方領土返還を議論している日本に今、一番大切な事は戦争という言葉に過剰反応してそれを封じることで無かったことにするという事ではないと思う。有史以降、国という概念の集団が領土を確定してきたのは戦争という歴史的事実でしか無いということを日本人は直視すべきだと思う。

 

ディールの天才 ドナルド・トランプ

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 米朝首脳会談の結果を見て、世界中のマスコミがしてやられたと思っただろう。あの結果は今となって考えるに、最初からトランプ氏の頭の中には描かれていたシナリオなのだろう。

 あの日の夕方の日本公共放送の報道番組ではおそらく用意していた材料が全く使えないことが分かったせいだろうが、本当にさらっとしか触れていない。ここぞとばかりに偏向報道を用意していたに違いない。そういう局だから。それが見事に裏を掻かれて、ぐうの音も出なかったのだろう。最初から事実のみを坦々と報道する用意をしていたのなら、あんなにあっさりとしか報道出来ない筈はない。私からすれば、ざまあみろだ。

 しかし、おそらくは一番ショックを受けたのは世界中のどの報道機関よりも、当事者のキム・ジョン・ウンその人だろう。まさに王手飛車取りを咬まされたようなものだ。ああ、そうですかと平気の平左で帰国したのでは国民(そう言っていいのか疑問はあるが)に対して顔が立たないし、かと言って報復措置をちょっとでも見せれば、それこそトランプの思う壺で、米国内のロシア疑惑等々を吹っ飛ばす為に一気に北朝鮮に米軍を攻め入らせるだろう事は目に見えているからだ。

 核廃棄は急がないだとか、全面廃棄はすぐには出来ないだろうとか、最初から芝居だったとすれば、それこそ千両役者と言っていい。

 今日の画像は、いつもすぐに正確に名前を言い分けられないキム一族の名前がさっと出てくるように以前作ったものだ。特にジョン・ウン、ジョン・イル、ジョン・ナムがごっちゃになりやすい。

 

 

群集心理と民主主義

 沖縄県民投票は嫌な予感がしてはいたが、結果を見てやはりやっちまったかあという感が否めない。

 以前から私は直接民主制というのか、国民投票、県民投票というような全員参加型の投票には懐疑的だ。しかも、大英帝国スコットランド独立に続くEU離脱国民投票で大失敗を目の当りにした直後の事だ。嗚呼、何て人類は過去に学ばないのだろうと思ってしまう。

 

 以前から群集心理というものと民主主義の違いは何だろうとずっと思っていた。多数決はいい事なのかどうかという問題提起でもある。

 

 私は民衆は基本的に愚者の集まりだと思っている。居る者全部で多数決を採ると碌な結果に終わらない。

 私が小学生時代を過ごした昭和中期は、まだ戦争を体験した教師がごろごろしていた。戦争中は米英鬼畜を叫んでいた輩で、戦後突然民主主義に翻ってしたり顔をしていた連中だ。私は小学生時代、中学生時代を通じて民主主義を信じなかった。その時代の学校での選挙や多数決による決定はそれはそれは酷い物だった。何故かと考えるに、民衆とか大衆とか全体は愚か者の集合だからだと思う。デマゴーグという言葉がある。大衆が何かに踊らされて間違った決定や動きをしてしまうことだ。発祥は遠くギリシャ時代まで遡る。つまりそんな大昔から大衆に決議を任せると碌な事にならないと言う事だ。

 だからその修正として間接民主制が生まれたのだと思う。愚かな民衆の中から少しはマシだと思われる人のみを選出してその人達に多数決を任せる。それこそが失敗しない(絶対成功するとは言えないが)民主主義なのだろう。

 

 振り返ってみるに何故このような沖縄県民投票というような愚挙が実施されてしまったのかというと、見るからに知性も品性も感じられない外国人みたいな名前の沖縄県知事のせいだ。私は彼に悪意があるとは思っていない。知性が足りないだけなのだと思う。知性が足りない故に、外国人勢力の陰の力に操られ踊らされているだけなのだろうと思う。ちゃんと意識して自分の考えでもしああいうことをやっているのだとしたら恐ろしいことだ。彼の選挙パフォーマンス以降、彼には知性というものを感じたことがない。それは前知事だった翁永知事にも共通して感じたことだ。

 

 日本人は「日本国紀」を著した百田直樹氏が書いているように素晴らしい民族だと私も思っている。しかし欠点もある。それは煽られ踊らされやすい国民だということだ。太平洋戦争を起こしたのも主にはそれに依っていると思う。私は今回の沖縄県民投票は、沖縄県が全国に恥を晒しただけのものだったと残念に思ってならない。

 

国と領土と戦争について

 つい先日、建国記念の日が終わってしまった。その際に記しておきたい文章があったのだが、時間が採れないまま終わってしまったので遅れ馳せながら今この文章を書くことにした。

 

 建国記念の日にあたって、日本の領土について考えてみようというような提案があったらしいことを何かで聴いた。この場合の日本の領土とは北方領土問題を指している。折しも何回目かの安倍首相とプーチン首相との間の首脳会談が行われようとしていて、その中で二島返還が実現されるかもしれないとか、あくまで日本は四島返還でなければ譲歩すべきでないなどのマスコミの勝手な無責任報道が流されている。

 

 私は北方領土は当時のソ連によって不当な略奪行為の中で強引に搾取されたものだと思っている。不当なというのは、第二次世界大戦中に日ソ不可侵条約を締結していたにも関わらず日本の形勢が不利だと判断するや否や、勝手に日ソ不可侵条約を破棄して日本の領土に攻め込んできてその地を侵略したことを指す。そういう意味で日本は何度もこの点を世界に向けて発信し、ソ連もしくはその後継であるロシアを批難し続けなければならないと思う。しかしだからといって、それで領土が帰ってくるとは思っていない。

 

 そもそも世界の国々の領土はどうやって決まってきたのか。それは殆どが戦争に勝利しての結果として決まってきている。建国の前には必ず戦争があり、その結果の精算である講和条約により領土が決まるというのが世界の通則である。しかし日本人はそこから目を逸らそうとばかりしてきた。

 

 太古の昔には、特定地域に棲む多数の民族間で領土争いの紛争である戦争が起き、そこで勝ちあがってきた豪族が王となって国を統一するという形で国が出来上ってきた。15世紀ぐらいまでの国造りはおおむねこういう形態だ。

 その後世界的な侵略競争の時代となり、後進国であったアジア、アフリカ、南アメリカなどがどんどん植民地化され、先進国の領土となっていった。更に時代を経てその土地に元々住んでいた民族による独立運動独立戦争の結果として国土を奪還して新しく国が出来る時代が続いた。

 このように観てくると、国と国との境界や領土といったものは殆どが戦争によって決められてきたという歴史がわかる。戦争なくして国はあり得ないと言っても過言ではないだろう。

 

 それでは日本という国はどういう戦争を経て国土を作り上げてきたのだろうか。何時が最初の日本かという問題もある。一般的には大和朝廷による支配がはじまった時期を指すことが多いようだ。それまでは何処の太古の国とも変わらない地方の豪族たちの間の争いの中で次第に大きくまとまってきて国家が統一されるという形態だった筈だ。これらはしかし日本人同士のいわば内戦だ。アイヌと和人との関係、琉球国と日本国との関係は必ずしも戦いによる結果ではないが同じ日本人同士が併合したとみるのが妥当と言えるだろう。つまり日本の領土の殆どの部分は、元々日本人(ここでいう日本人は国籍のことではなく、DNAの近接度合、つまり民族として日本人かという事)どうしが棲んでいた土地が戦争があったかどうかは別として恭順という形で片方に吸収される形で出来上っている。

 一方で、元々殆ど人が棲んでいなくて戦争の決着によってどの国に帰属するかが決まるケースがある。樺太、千島列島、そして北方四島がそれに近いと言えるだろう。日露戦争は日本とロシアがある意味正々堂々と戦い、その結果としての講和条約樺太、千島列島の帰属を決めている。戦争に正々堂々などという言葉を使うことがどうかとも思うが、一方的な侵略ではなく、国と国とが対決し、その結果を当事国ではない複数の第三国が入った講和会議で結果として領土を決めるというのはある意味、戦争の結果ではあるが正当と言ってもいいように思う。

 満州国というものが第二次世界大戦終結前にはあった。その国は日本の統治下にあったので日本の植民地であったと言ってもいいだろう。しかしならば日本が統治する前は何処の国だったのかというと判然としない。はっきりとした国はなかったのかもしれない。中国人も棲んでいた筈だし朝鮮人も居ただろう。ロシア人も居たかもしれない。蒙古人の末裔も居ただろう。ここで何々人というのは先述のもの同様、国籍ではなく民族系を指す。しかし第二次世界大戦の結果として日本は満州国を統治下から放棄し、ソ連北朝鮮と韓国と一時は中華民国が、そしてその後、中華人民共和国がその地を分割することになる。どの部分がどの国の元々の固有の地であったという事は出来ないだろう。ただ日本がその統治を放棄し、後は勝手に決めてくれという形だった筈だ。

 日本はソ連には宣戦布告していないし、第二次世界大戦中も殆どはソ連との間で戦火を交えていない。ただ終戦間際に一方的に日ソ不可侵条約を破棄され、一方的に侵攻されてそれに対して防戦しただけだ。ソ連との間でサンフランシスコ講和条約を結んだ訳ではない。一方的に占拠された北方四島について精算が終わっていないというだけだ。いわば火事場泥棒に盗まれて返して貰っていないという状態なのだ。

 火事場泥棒のようにして領土を掠め取るというのはロシア帝国からソ連そして今のロシア連邦と引き継がれてきたいわばロシア系民族の得意技だ。先のクリミア侵攻もその一つで国際社会は未だそれを認めていないし、クリミアによる独立戦争でもない。嘗てはアフガンでもそれをやろうとし、東ヨーロッパでも散々侵攻をして最後には独立戦争で領土を取り返されている。

 そんな国を相手にしているのだから戦争もしないで領土を返して貰うなどということが出来る筈がないと私は思う。

 だから日本はどうすべきなのか。結論は簡単には出ない。しかしそれを考えてみるのが建国記念の日を有意義に過ごす方法なのではないかと思うのだ。

 

何かおかしい? NHKの朝ドラ

 相変わらず、NHKへの不信感から現在放送中の朝ドラ「まんぷく」を観続けている。楽しみにしているというより、監視しているに近い。

 最近のエピソードで安藤百福がモデルの主人公が銀行から差し押さえを受けるというシーンがある。百福が実際に理事長を務めていた信用組合が倒産して財産を失うというのは史実上も事実らしい。問題なのはその描き方だ。

 一貫して、戦後の日本政府や日本の財界、銀行などが間違った不正な事をしてきたという描き方なのだ。何故主人公の萬平が差し押さえを受けることになるのか、ちゃんと説明されておらず銀行の陰謀でそうなったかのような印象しかない。

 実際、90年代のバブル崩壊期には日本の銀行も所謂「貸し剥がし」のような事はあったようで、ドラマで描かれている戦後すぐの頃に似た様なことがあったのかもしれないが、その辺の事実があいまいにしか説明されず、日本の財界や銀行筋は酷いところだったという印象だけが残るようにドラマ作りされているとしか思えない。

 日本国民を洗脳する某国の陰謀工作としか思えないのは私だけなのだろうか。

 

日産社員「社内の恥さらさないで」への反論

 つい最近、日産のゴーン元会長に関連した記事で、日産社員が「社内の恥さらさないで」というものがネット上に掲載された。

 強い違和感と共にある意味で得心がいった。

 この社員は恥という言葉を使っているから、ゴーン氏の罪は認めているのだろう。しかし同時に悪い事を公表するのを止めて欲しいとも言っている。

 この社員の言葉はある意味、日産の体質を象徴していると思う。この社員は(そしておそらく多くの日産の社員が)「日産の内部は腐っていることを私は知っている。しかし日産という会社は世間からはいい会社だと思われている。私は腐った会社には勤めているが、世間の人からはいい会社に勤めていると思われていたい。」という心境なのだろう。こんな会社では自浄作用が働く訳がない。

 

NHKの謀略

 日本のテレビ放送業界が外国勢力に密かに侵略されているのではないかという疑惑はこのブログでも何度か書いてきた。

 昨年末にNHKの看板番組、朝ドラを観ていて「おやっ?」と思わず唸ってしまった。

 インスタントラーメンの産みの親である安藤百福が戦後直後にアメリカGHQの謀略によって投獄されるというストーリだ。勿論、朝ドラは基本的にフィクションで、史実に完全に基づいている訳ではないことは重々理解している。しかし、多くの国民に支持されている番組の中で、実際の史実に近い内容を流せば、多くの国民が誤解するのは想像に難くない。

 問題なのは、戦後のGHQは正しい事をしていなかった。アメリカだって間違ったことをしていたと、国民に擦り込むことだ。だから、中国や韓国の主張だって間違っていないのだと言わんばかりだ。

 普通に考えれば、こういう(つまりアメリカは戦争直後、日本に対して間違ったことをしていたという)疑惑があるのであれば、フィクションのストーリーの中に持ち込むのではなく、ちゃんと検証をしてドキュメンタリーとして世の中に問うべきではないだろうか。それをしないで、フィクションだからと言い訳できるドラマの中で、さり気なく視聴者を誘導するのは、公共放送を標榜する放送局としてはあってはならない事ではないだろうか。

 外国勢力の介入を受けているのは間違いないとこの番組を見ていて確信してしまった。