鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

佐村河内氏の著作権料

 この話題については、既に多くの人が意見をネット上に揚げているようだ。従って何が正しいとか解説を述べるつもりは今の自分にはない。

 

 自分なりの解釈、決して誰に押し付けるものではない、私の考えということだけで書いてみようと思っている。

 

 著作料、つまり印税は本来JASRACが支払うべきものではないと私は思う。支払うべきなのは、今回のような場合、楽曲を聴いた人でつまりはCDを買った人だ。JASRACはその代行をしているに過ぎないと考えるべきだと思う。

 

 優れた創作、著作物を成した人は価値を生み出したことになる。その価値はその作者本人のもので、それを不当に、つまり只でコピーして聴くのは価値を搾取したことになる筈だ。その為に公平に価値を分けて貰う手段として著作料というものが存在するのだと私は考えている。

 楽曲に関わる著作料と言っても、いろんなケースがある。真に音楽的に優れていて、多くの人が聴いて楽しめる場合。楽曲そのものはありふれているとか世間で十分衆知のものだが、演奏が優れている場合。アイドル歌手の作品のように音楽的出来栄えは稚拙だが、ファンにはそのアイドルの存在を身近に感じられることに価値がある場合など。

 

 佐村河内氏の場合はどうだろう。氏は何を価値として世間に問うて、最終的購入者が実質的には支払うことになる著作料を頂こうとしているのだろうか。ヒロシマは楽曲そのものが素晴らしいという人も居る。しかし聴力の全くない天才が生み出したものであるというエピソードが無かったら見向きもしなかった人も必ず居る筈だ。そう聞かされていたから感動したというのは正直なところだろう。

 

 法的にどうかというのはこの際、私にとってはどうでもいいことだ。法律には限界がある。いい作品で、高い価値のものには、それなりに高い報酬を支払うべきだが、それを公平に認定する方法がない。また、いい作品のようだと思い込んで買ってみたら駄作だった(少なくともその人に取って)というような場合には、価値がなかったからと言って著作料の分を返して貰うルートが無い。ある意味、著作権というルールに残る不備と言ってもいいだろう。

 

 だから法的に見てということではなく、本来はどうなのかという事で考える必要がある。佐村河内氏は価値を想像したのだろうか。買った人は価値を感じ、今も感じているのだろうか。嘘がばれた事によって、価値が無くなったのであれば、著作料は詐取したものであり、返還されるべきものであると私は思う。