鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

ある市長の奢り 「目指すは日本一のまち」

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 私が棲む街で、いつも頭に来る場所がある。我が街には川が何本か流れているが、そのうちの殆どの川堤は細い路地だ。川沿いの細い路地は老人が(いや、老人には限らないかもしれない)散歩をする道だ。子供や赤ん坊を連れたお母さんが子供の手を引いて歩く場所でもある。

 しかし、我が街ではこの川沿いの堤の細い路地は車の抜け道になっている。車同士が擦違えないほど細い路地も多い。それにも関わらず一般車道の混雑を嫌がってわざわざこの細い路地を擦り抜ける輩が後を絶たない。急いでいるから抜け道を使うのだという意識がそうさせるのだろうが、細い道に関わらず、猛烈なスピードで擦り抜けようとするので頗る危ない。

 冒頭の画像はそれら細い川沿いの堤の路地のひとつだ。この道を私は週二回、接骨院の治療の為に自転車で通り抜ける。二回に一回ぐらいの頻度で真正面から、あるいは背後から車がやってきて、我が物顔でやってくる。その殆どは道を譲ろうとしない。また、一般の路地からこの川沿いの堤の道に入る登り坂のT字路で物凄いスピードで通り過ぎる車を目撃することが多く、とても怖い。近隣の家の前栽で見通しが効かないこともある。しかし通り過ぎる車は見通しが効かないぐらいは何とも思わないようでスピードを落とすことはない。

 

 この私の憤懣を逆撫でするかのようなポスターがる。市長の宣伝ポスターだ。冒頭の画像は実は合成画像で、この道のこの場所にある訳ではない。しかし、実際にはこの場所を進んで数百メートルほど進んだ場所に丁寧に二箇所にも設置されている。謳い文句が揮っている。「目指すは日本一の街」 ふざけるのもいい加減にしろという気持ちになる。

 棲みやすい街づくりの要因は幾つかある。しかしもっとも大事なものの一つに、人が安心して歩ける道が整備されているということがあるだろう。運転する立場に立ってみても、人が歩いて通る道と車が走る道が分離されていればいるほど、車の運転もしやすく神経をすり減らすことが少なくて済む。このような街づくりには時間がかかる。一朝一夕で出来ることではないのは理解出来る。

 しかしながら細い路地を抜け道として利用するドライバーを規制するのは、早急に出来ることでこれをしないで放置しているのは為政者の怠慢という他はない。少なくともこういう為政者には「日本一の街づくりを目指す」などと標榜する資格はない。

 もう少し突っ込んだ議論をすると、我が街の川堤の路地には一般家屋が隣接していることも多い。そういう家には駐車場があって車を持っており、川沿いの道を通らなければ車を使うことが出来ないという事情がある。だから車両通行止めには出来ないのだなどという言い訳をするのならば、それは頭が悪すぎるとしかいいようがない。

 こういうケースでは道の何処かで車が通行出来ない隘路を作ればいいだけの事だ。最も簡単なのは車の通り抜けを出来なくする金属製のポールを立てればいいのだ。この道沿いに棲む住人は車を使う時は、その隘路ではない側に車を出せばいいだけの事だ。棲んでいる住民には多少の不便が出るかもしれないが、元々車を使うのだから多少の遠回りがあってもそれほどの問題が生じるとは思えない。それにそんな狭い路地に接して棲む住人であれば、その道を歩くこともあるだろうし、狭い路地に車が通り過ぎることの危険性は普段の生活で嫌というほど認識している筈だし、車を使う際には慎重になる筈だ。問題なのはその道沿いに棲んでいない人間が抜け道として使うことだ。ただ通り過ぎる為だけにその道を使う人間には、そこに棲む人への配慮が無い。ただ早く通り抜けたいだけなのだ。だからこそ、その道の途中に隘路を作って外部から来る車には通り抜けが出来ないようにすれば全て解決するのだ。

 こういう事は為政に携わる政治家のトップ、あるいはリーダー的立場の者の鶴の一声が一番効果がある。まさに「日本一の街づくりを目指す」リーダーがするべき仕事なのだ。それもせずにこんなポスターを掲げる為政者は恥知らずという他ないだろう。