鵜の眼・鷹の眼ご意見番

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わかりやすいベトナム戦争 を読んで

 つい最近三野正洋という人の書いた「わかりやすいベトナム戦争」というのを読了した。きっかけは、私の通うカトリック教会の主任司祭の言動が理解しかねる事案が続いていて、ベトナム人である彼の事を理解する手助けにならないかと思ったからだ。

 我が主任司祭はベトナムボートピープル出身だ。かれが書いた壮絶な自伝を読んだだけでも、普通の人生を歩んできた訳ではないことが良く分かる。しかし、ただそれだけでは彼の言動を理解するまでには至れなかった。その根底にあるベトナム戦争の本質について知らなければきっと完全には理解できないだろうと思ったのだ。

 

 ベトナム戦争を知ることについてはもうひとつ動機があった。もう随分古い話であるが、私が小学校の五年生だった時だったと思う。社会科の授業の一環で「ベトナム戦争について記せ」というテストがあったのだ。ちょうどその頃、直前にアメリカ合衆国ジョン・F・ケネディが暗殺され、日本で最初のオリンピックが開かれようとしていて、名神高速道路が開通し新幹線が開業を始めようとしていた頃の事だ。

 ベトナムではいわゆるベトナム戦争というものが始まって四年目を迎えた頃にあたる。その頃の小学校では新聞を読むことが推奨されていたように思う。新聞をちゃんと読んでいればベトナム戦争について小学生といえども何らかの事は書けるだろうという思いがその社会科教師にはあったのではないだろうか。

 しかし、今振り返ってみると、小学校五年の生徒に向かって「ベトナム戦争について記せ」という設問は幾ら何でも無茶な注文だった筈だと思うのだ。幾ら新聞を読んだからといって、ベトナム戦争の本質が書かれている筈もなく、設問を出した社会科教師ですら本当の事は知らなかった筈だ。当時の無責任な新聞ジャーナリストが書いた表面的な記事、それもアメリカ政府を通じて報道されたものを適当な部分だけ翻訳して綴ったような記事を、したり顔で俺はちゃんとベトナム戦争について理解しているなどと大見得を切っていたのだろう。だいたい太平洋戦争終結から二十年も経っていない頃の社会科教師などというのは、殆どが左翼運動家みたいなもので、戦後の反動で借りものの民主主義を唯一の真実だと信じる一方で、マルクス共産主義にかぶれているような怪しげな似非平和主義者を標榜する無責任教育者でしかなかったようだ。

 話を元に戻して、その社会科教師が出した設問に私は「ベトナム人民解放戦線は・・・」とそこまで書いて絶句している。当時ベトコンという言葉が報道で流行って使われているのは知っていたが、その日本語訳がベトナム人民解放戦線というのだとまでしか知らなかった。そのテストの採点がどうだったかはもう全く憶えていない。ただ、憶えているのは自分なりの理解でベトナム戦争について語ることが出来なかったのがとても口惜しかったという事だけなのだ。

 

 今回「わかりやすいベトナム戦争」を読んでみて驚愕した。それまでベトナム戦争というのはソ連を後ろ盾にした北ベトナムと、アメリカを後ろ盾にした南ベトナムとの間の戦争だと思っていたからだ。そういう側面も後には全くないでは無かったが、私が小学五年だったベトナム戦争が始まって四年目頃は全く違うものだったのだ。その事を還暦もとうに過ぎてしまった自分が今やっと知る事が出来たのだ。

 ベトナム戦争の表面的理解は自由主義、民主主義対共産主義社会主義イデオロギー戦争というものだろう。もしかしたら私が習っていた小学校の社会科の教師もそんな答えを期待していたのかもしれない。確かにアメリカがこの戦争に加担したのは世界にこれ以上共産主義国家が産まれることを阻止する為だったようだ。しかし北ベトナムではなく、南ベトナム内部の政府軍対反政府勢力との抗争により始まったこのベトナム戦争は本質的にイデオロギー戦争では無かった。世界から共産主義国家を撲滅しようとするアメリカと、うまくつけこんであわよくば南ベトナム共産主義国家にしてしまおうとする当時の共産主義勢力、北ベトナムソ連、中国などに利用されただけでベトナムを何から解放するのかはあまり議論されなかった戦争だったと私には見える。

 

 もうひとつの観点はベトナム人は馬鹿だと言う事だ。日本など自由主義陣営と呼ばれる国家では一般的に自由主義、民主主義は正しいものであり正義である、逆に共産主義社会主義は悪であり邪悪なものであるとされている。

 私は共産主義国家にいい国があるとは未だに思わない。将来に亘っても国民が幸せで平和に暮らせる国家が共産主義を土台にして築けるとは思っていない。問題はそこではなく、自由主義、民主主義の国だからと言っても必ずしも国民が幸せで平和に暮らせる国になるとは限らないのだということがベトナム戦争の一番の教訓なのではないだろうか。

 人間は本質的に愚かであり、暗い側面を有している部分が必ずあることをまず理解しなければならない。その愚かさや暗い側面をきちんとコントロールできなければ、南ベトナムのような悲惨が国が自由主義陣営、民主国家であろうとも出来てしまうのだ。アメリカは(勿論当時のという前提はあるが)この事に気付けないまま、自由主義、民主主義こそは正義であり、共産主義国家は戦争をしてでも阻止しなければならないのだという誤った理想論を捨てきれなかったのが戦争を長きに亘って継続させてしまった大きな原因であり、そう言った意味ではアメリカ人もバカで愚かだったのだ。しかし一番愚かだったのは南ベトナム人たちであり、それに続くのが共産主義を未だに信奉している北ベトナムを始めとする共産主義国家の民族たちなのだろう。

 

 翻って日本あるいは日本人はどうかというと、太平洋戦争に突入してしまったという点では愚かさの点ではベトナム人たちに対して優性を自慢出来たものではないかもしれない。しかし少なくとも戦後数十年を経て日本人はその愚かさから立ち直ってこれたと言えるのではないかと思う。アメリカの力を借りたという側面は否定は出来ないが、基本的には自力で立ち直ったのだと思う。それに比べてベトナム人、特に嘗ての南ベトナム人は国を捨てて逃げることしか出来なかったのだ。

 いろんな人がいる中で、いっしょくたにしていい国、駄目な国というのはいささか乱暴ではあるが、いいリーダーを輩出出来る国あるいは国民と、いいリーダーを輩出出来ない国あるいは国民というのはあるのだと思う。

 「わかりやすいベトナム戦争」には今のベトナムについては殆ど書かれていない。情報が少ない我々日本人には、今のベトナム民主化され自由主義国家のようにふるまっているように見える。経済も自由主義国家並には持ち直してきているようにみえる。しかし嘗てわたしたち日本人がベトナム戦争について本質的な事を理解していなかったように、今のベトナムという国が本当はどんな国なのかは理解出来てないと考えるほうが自然だ。結局のところ、ベトナム戦争が何だったのかは大体理解出来たものの、ベトナム人とはどういう人達なのかは、嘗ては愚かだったということしか判らないとは言える。