鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

国と領土と戦争について

 つい先日、建国記念の日が終わってしまった。その際に記しておきたい文章があったのだが、時間が採れないまま終わってしまったので遅れ馳せながら今この文章を書くことにした。

 

 建国記念の日にあたって、日本の領土について考えてみようというような提案があったらしいことを何かで聴いた。この場合の日本の領土とは北方領土問題を指している。折しも何回目かの安倍首相とプーチン首相との間の首脳会談が行われようとしていて、その中で二島返還が実現されるかもしれないとか、あくまで日本は四島返還でなければ譲歩すべきでないなどのマスコミの勝手な無責任報道が流されている。

 

 私は北方領土は当時のソ連によって不当な略奪行為の中で強引に搾取されたものだと思っている。不当なというのは、第二次世界大戦中に日ソ不可侵条約を締結していたにも関わらず日本の形勢が不利だと判断するや否や、勝手に日ソ不可侵条約を破棄して日本の領土に攻め込んできてその地を侵略したことを指す。そういう意味で日本は何度もこの点を世界に向けて発信し、ソ連もしくはその後継であるロシアを批難し続けなければならないと思う。しかしだからといって、それで領土が帰ってくるとは思っていない。

 

 そもそも世界の国々の領土はどうやって決まってきたのか。それは殆どが戦争に勝利しての結果として決まってきている。建国の前には必ず戦争があり、その結果の精算である講和条約により領土が決まるというのが世界の通則である。しかし日本人はそこから目を逸らそうとばかりしてきた。

 

 太古の昔には、特定地域に棲む多数の民族間で領土争いの紛争である戦争が起き、そこで勝ちあがってきた豪族が王となって国を統一するという形で国が出来上ってきた。15世紀ぐらいまでの国造りはおおむねこういう形態だ。

 その後世界的な侵略競争の時代となり、後進国であったアジア、アフリカ、南アメリカなどがどんどん植民地化され、先進国の領土となっていった。更に時代を経てその土地に元々住んでいた民族による独立運動独立戦争の結果として国土を奪還して新しく国が出来る時代が続いた。

 このように観てくると、国と国との境界や領土といったものは殆どが戦争によって決められてきたという歴史がわかる。戦争なくして国はあり得ないと言っても過言ではないだろう。

 

 それでは日本という国はどういう戦争を経て国土を作り上げてきたのだろうか。何時が最初の日本かという問題もある。一般的には大和朝廷による支配がはじまった時期を指すことが多いようだ。それまでは何処の太古の国とも変わらない地方の豪族たちの間の争いの中で次第に大きくまとまってきて国家が統一されるという形態だった筈だ。これらはしかし日本人同士のいわば内戦だ。アイヌと和人との関係、琉球国と日本国との関係は必ずしも戦いによる結果ではないが同じ日本人同士が併合したとみるのが妥当と言えるだろう。つまり日本の領土の殆どの部分は、元々日本人(ここでいう日本人は国籍のことではなく、DNAの近接度合、つまり民族として日本人かという事)どうしが棲んでいた土地が戦争があったかどうかは別として恭順という形で片方に吸収される形で出来上っている。

 一方で、元々殆ど人が棲んでいなくて戦争の決着によってどの国に帰属するかが決まるケースがある。樺太、千島列島、そして北方四島がそれに近いと言えるだろう。日露戦争は日本とロシアがある意味正々堂々と戦い、その結果としての講和条約樺太、千島列島の帰属を決めている。戦争に正々堂々などという言葉を使うことがどうかとも思うが、一方的な侵略ではなく、国と国とが対決し、その結果を当事国ではない複数の第三国が入った講和会議で結果として領土を決めるというのはある意味、戦争の結果ではあるが正当と言ってもいいように思う。

 満州国というものが第二次世界大戦終結前にはあった。その国は日本の統治下にあったので日本の植民地であったと言ってもいいだろう。しかしならば日本が統治する前は何処の国だったのかというと判然としない。はっきりとした国はなかったのかもしれない。中国人も棲んでいた筈だし朝鮮人も居ただろう。ロシア人も居たかもしれない。蒙古人の末裔も居ただろう。ここで何々人というのは先述のもの同様、国籍ではなく民族系を指す。しかし第二次世界大戦の結果として日本は満州国を統治下から放棄し、ソ連北朝鮮と韓国と一時は中華民国が、そしてその後、中華人民共和国がその地を分割することになる。どの部分がどの国の元々の固有の地であったという事は出来ないだろう。ただ日本がその統治を放棄し、後は勝手に決めてくれという形だった筈だ。

 日本はソ連には宣戦布告していないし、第二次世界大戦中も殆どはソ連との間で戦火を交えていない。ただ終戦間際に一方的に日ソ不可侵条約を破棄され、一方的に侵攻されてそれに対して防戦しただけだ。ソ連との間でサンフランシスコ講和条約を結んだ訳ではない。一方的に占拠された北方四島について精算が終わっていないというだけだ。いわば火事場泥棒に盗まれて返して貰っていないという状態なのだ。

 火事場泥棒のようにして領土を掠め取るというのはロシア帝国からソ連そして今のロシア連邦と引き継がれてきたいわばロシア系民族の得意技だ。先のクリミア侵攻もその一つで国際社会は未だそれを認めていないし、クリミアによる独立戦争でもない。嘗てはアフガンでもそれをやろうとし、東ヨーロッパでも散々侵攻をして最後には独立戦争で領土を取り返されている。

 そんな国を相手にしているのだから戦争もしないで領土を返して貰うなどということが出来る筈がないと私は思う。

 だから日本はどうすべきなのか。結論は簡単には出ない。しかしそれを考えてみるのが建国記念の日を有意義に過ごす方法なのではないかと思うのだ。