鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

五十を超える年の年頭に考えた事

 これは前回、ドラマ「黄昏流星群」の初回を観て、昔書いたある文章の事を思い出し、それをPCのいろんなところに検索を掛けて探し出したものです。

 今となってはいささか気恥ずかしいものですが、載せてみたいと思います。

****

五十を超える年の年頭に考えたこと

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

 今年は、満50歳で迎える新年になりました。

いろんな意味で人生の節目を自覚しています。

 

 論語の中に、「四十にして惑わず(不惑)」という

ような表現があったことを思い出し、50ははて

何であったろうかと、辞書を引いて確認しました。

 

 「知命。五十にして天命を知る。」とあります。

 

 50とは、そのような歳であったかと、ある意味、

 感慨深いものを覚えました。

 

 

 

 昨年、たまたまアインシュタインの「相対性理論

を解説した本と、これに対抗する形で発展してきた

ボーア、ハイゼンベルグシュレーディンガー等の

量子論」を解説した本を読む機会がありました。

 

 10代から20代になる頃、初めてこれらの物を

見聞きした時には、何を説いているのかさっぱり

理解出来なかったものが、判り易く解説してあった

というのもあるのでしょうが、(ああ、そういうこと

だったのか)と思わず手を打ちたくなる感動を

おぼえました。

別に数式的に理解できたという訳ではないのですが

その式が持つ意味が、自分自身の人生経験を

併せてみて初めて理解出来た気がしました。

 

 

 

 

 「相対性理論」、「量子論」は極端な例ですが、この

歳になって、世の中のいろんなことが、その背景を

前提に考えていくと、見えてくる、先が読めてくる様

になってきたのも事実です。

 

 この人は何故こういう風に考えるのだろう、この人

達は、この後どういう行動に出るだろう、そういう事

を、その背景をもとに考えると、自然に見えてくると

いうようなことです。

 

それだけ齢を重ねたということなのでしょうが。

 

 

 

 去年、会社の若い人達(と言っても30代の人達ですが)

に、会社生活の生き方のようなものを先輩として

講師で話す機会がありました。

 

 英語の「sensitiveとsensibleの違い」(これは高校担任に

教わったことのパクリです)、O.J.Simson の裁判を事例

に、「guiltyとcriminalの違い」ということから「言葉の本質」

という話、パレスチナ問題を話題に、「歴史から学ぶ事」、

将棋の勝ち方という話題から「先を読むということ」の話、

私の得意とする料理の極意の話から、「時間をどう使う

のか」という話題なんかを1時間半に亘って初めて人前

で長々と話をしました。

 

 人に話すのと、自分で会得するのとは別のこと。自分で

話したことを元に、自分の過去を振り返ると、只々赤面

することもしばしばです。

 

 自分自身はと言えば、自分の今の会社での生き方に、

(これでいいのか)と悩むばかりの毎日の連続です。

 

 

 

 ただ、ただがむしゃらに働いてきた30代、40代

から比べ、最初に入社した会社を定年扱いで

退職した上で関連会社に転籍し、

仕事の上でももはや第1線ではないところで、

後輩を指導することを主な生業にするように

なったこともあるのかもしれません。

 

 自分個人だけでなく、社会そのものも、

高度成長期、バブル期、その崩壊期を経て、

日本の経済、産業が世界をリードする時代が

終わりを告げようと、あるいはもはや終わりを

告げてしまったような中で、少し冷めた目で

社会を見直すようになったせいかもしれません。

 

 日本の中だけでなく、世界で起こっていることを

見渡してみても、いつになっても解決しない

イスラエルパレスチナ問題、イラクアメリカ戦争。

正しい思想と間違った思想の争いと思っていた

ものが、実はそうではなかったのではと

疑いの目を持って、本当の意味を探って見ても

いまだ何が正しくて、何が間違っているのか

確信を持って人に伝えることは出来ないように

思うようになりました。

 

 

 何の為に働くのか、

人生の意味は何なのか。、

人の究極の幸せは何なのか。

 

 そんなことを日々の生活の中で自問自答しながら、

先人の残した知恵を人の解説を頼りにしながら

紐解いていくと、人間の、社会の、世界の、あるいは

自然界の不思議さ、秘密の裾の一端を垣間見たような

気がしました。

 

 

 

 また別の視点で、昨年(ああ、そうだったのか)と

合点がいったものに、漱石草枕の冒頭がありました。

何のきっかけだったが失念しましたが、突然気になって

本棚の奥から引っ張りだして、その文言を確認してみた

のでした。

 

「山道を上りながら考えた。

知に働けば、角がたつ。

情に棹差せば、流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくこの世は住みにくい。」

 

(記憶を頼りに書いたので、原文と多少違うかもしれません)

 

 50年の人生を経てみて、10代の頃、文字の表面的な

意味でしか理解出来なかったものが、怖ろしいほど

世の中の妙を言い得ていることに、あらためて

漱石の凄さを再発見しました。

 

 

 

 そして、新年の計を考えようと昨年の年末に辞書を引き

直して論語の「知命」を見つけました。

 

 孔子のような君子と同じように、人生の秘密を見出すことが

出来るのかどうかはわかりませんが、この一年、あるいは

この10年の中で、自分の天命は何だったのかを

探り求めて生きて行きたいと

新年の酩酊の中でなんとなくぼんやりと

考えています。

 

 

 

 何を言っているのか、訳の分からない文章になって

しまいました。

 

 一年に一回しか便りを交わさない方々ですが、私の思いの

一端だけでも伝わればと、新年の挨拶に変えて

送ります。