鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

刑法187条と保護法益

 私はさる教会に所属している信徒の一人だが、めんどくさい問題に直面している。この教会では秋にバザーをやるのだが、そのバザーをやる際にバザー券なるものを販売する担当当番が廻ってきてしまったのだ。

 やる事はある意味単純で難しくはないのだが、その倫理性が問われているのだ。

 題目の刑法187条は簡単に言うと富くじを行うことを禁じているもので、罰金、罰則がある。で、バザー券が刑法187条が定めている富くじにあたるかと言えば、定義をそのままストレートに解釈すると抵触するというのは何人もの弁護士が述べている。

 私個人としては、景品を餌に寄付金を集めるバザー券という仕組みは好きでない。だからバザー券を作ったり売ったりする手伝いは過去にしたことはあるが、自分からは一枚も買ったことがない。これは好き嫌いの問題だ。

 法的には、私も条文を実際読んでみて、バザー券は基本的に富くじに相当すると思う。だからと言って他人がバザー券を売り買いするのまで咎めようとは思わない。

 法律にはおかしなものが多々ある。その最たるものと私が思うのは自転車の歩道走行や右側通行を禁止しているものだ。実際殆どの人が守っていないし、警察官が取り締まるのを見た事もない。法整備が時代の変化についていっていないだけだと私は解釈している。

 もう一つおかしいと思っているものに酒税法がある。糖分に発酵菌が付くとアルコール発酵が発生し、自然にアルコールが出来る。これは極当たり前の自然界の現象だ。それを法律で禁止するという。

 刑法の世界では保護法益というものがある。ちょっと素人には判りにくい概念だが、法律が何かを禁止することで守られる利益とでも言えばいいだろうか。

 酒税法が保護法益として守っているのは財務省主税局が管理する酒税による国の利益だ。個人が勝手にアルコールを作ったり売ったりすると、国が税金として得られる筈の税の徴収を損なうので禁止するという訳だ。この手のものは太古の昔からある。お上と呼ばれる為政者が税や年貢といった利益を独占するのを妨げるので勝手に売買することを禁じる。塩も味噌も昔はみなそうだった。通行税なんていうのもその類だ。

 この手の話の最たるものとして賭博禁止や先の富くじ禁止がある。これはお上の大事な財源なので、勝手に個人がやってはいけない。お上だけがやっていいのだという理屈である。賭博は悪いことだからやってはいけないのではなくて、賭博はお上がお金を儲ける為に利用するので、個人は(胴元として)これで儲けてはいけないのだ。今でいえば公営ギャンブルの実行元の利益を保護法益としているのだ。

 話を少し戻して、富くじを禁止するのが刑法187条であるが、こういう包括的な法律(一般論として富くじは全面禁止するというような事)の場合は、だけどこれこれこういう場合はいいことにするという法律を作れば許されることになるそうだ。調べてみるとお年玉年賀葉書についても特例として認めるという法律が作ってあるそうだ。つまり特例を認める法律が無い限り、違法だということになる。

 日本は法治国家だが、法の精神を優先すると言う文化が無い。法の文言上の解釈が最優先されるのだ。高校の文化祭の模擬店や、教会のバザーなどにいちいち法律を作っていられない。となるとどうなるか。法的にはいけない事として放置されるのだ。

 つまりバザーでバザー券を担当すると法を冒すというリスクを負って疑問に思いながらやるということだ。ああ、めんどくさい。