鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

不倫宣言 事実不倫

 2016年初めのベッキーのゲス不倫騒動に端を発して以来、ずっと不倫報道に世間は振り回されてきた感がある。そして、いささかもううんざり感を抱き始めているのは私一人ではない筈だ。

 元々、他人の誰かがやはり他人の誰かを好きになったとか嫌いになったとかは第3者的立場ならどうでもいい話のはずだ。有名人が偶にそういう事が発覚するのだったら、多少の興味を抱く程度だろう。今の社会現象的不倫騒動はどうかしてると思う。

 不倫は倫という字が示すように社会の規範にもとる行為だ。だから不倫は許してはならないというのは、ちゃんとした道徳観念を持った人が言うべき論理であって、マスコミに踊らされて騒いでいる大半の人達はそうとは思えない。

 私は法律の専門家ではないので、正確には知らないが確か今の現行法には姦通罪というのは無かった筈だ。不倫を発見して警察が取り締まるということはない。従って法に依って取り締まられるべき刑法の適用事案ではないだろう。

 勿論、結婚している男女間には民法で守られている事項が多々ある。従って民法によって裁判が出来る事案ではあるだろう。しかしそう言ってもあくまでもこれは当事者間の話だ。第3者がどうこう言う話ではない。

 多くの人、正確には過去には多くの人がと言うべきかもしれないが、結婚は神に誓ってするものとされていた。しかし特に日本人の場合だが、神に誓って結婚している人は少ないだろう。ハリボテの教会で本物かどうか判らない外人に向かって神を信じてもいない日本人が「誓います!!」って言ったからといって、それは神に誓ったとは言えないだろう。本当に自分が信じている神に向かって誓ったのなら、おいそれと離婚したり、結婚相手ではない人に恋心を持つ、いや持っただけではなくある特定の事実を行動に移すということはないだろう。

 今年のAKB総選挙を観ていて(いや、正確には観ていないので報道で知ってが正しいのだが)思ったのだが、政治家や有名人はもう不倫宣言をしてしまえばいいのではないか。「私はこれから不倫をします。」そう宣言をしてから誰かを好きになって事に至ればいいのではないか。最近そう思うようになってきた。事実婚というのがあるのだから、事実不倫だってあったっていいではないか。正々堂々とやれば、他人は「だから、何?」というだけの話ではないか。そんな話ばかりをマスメディアを使って延々と聞かされるのはもうホントにウンザリだ。