鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

法の精神と日本国との関係について

 また少し書き足しておきたい。日本人が何故、法の精神について考えないのかという点についてである。

 

 それは私は日本国という国の成り立ちに関係しているように思える。日本は良き主に統べられた良き民の国として成立したからだ。良き主とは天皇の事であり、良き民はその配下の日本国民だ。時代によって多少異論はあるかもしれないが、古代から現在に至るまで、天皇は日本国民に圧制を強いたことはなく、国民は天皇を尊敬こそすれ、憎んだり支配から逃れようとしたことがない。基本的にだ。

 

 なので、基本的に日本国民はお上の指示というものを理屈ではなく受け入れる。お上の言うことは必ず正しい筈であり、それに従順に従っていれば間違いがない。お上の言うことを疑ってみるとか、論理的に否定してみるのは間違ったことだと太古の昔から信じ切っているのだ。基本的にだが。

 

 これは天皇とその配下である民との関係なのだが、それが敷衍されて時の将軍であったり政府であったり、果ては役人までがお上と捉えられてしまう。だから法の精神まで遡って何が正しいのか考えようとしないのだと私は思う。

 

 しかし、現代の日本は法治国家であり、天皇制は敷いているが君主国ではない。法治国家の根幹をなす法律は、天皇が作ったものではなく、一部の民が作ったもので、それを決めたのも民である。民は従って正しいとは限らないのだ。正しくないというと語弊があるかもしれない。正しく運用されないことがあるというほうが穏当で、より真実に近いかもしれない。

 

 前回の話で言えば、著作権法著作権者の利益を損なわないように運営されるべきであり、利益を損ねないのに、文言だけで運用すべきではないというのが私の主張だ。