鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

あなたの隣の知らない人・スノーデンファイル

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 私はキリスト教徒。もっと正確に言うならカトリック教徒である。教会には毎日曜通うというほど熱心な信者ではないが、最低限すれすれのお付き合いは欠かさないようにしている。

 

 私の属する教会にはコミュニティという制度がある。教会が管轄する地域について、ある程度の地区毎に区割りを設定して、それぞれを番号を付けてコミュニティと称して管理したり行事の割り付けをしたりしている。その状況を示すものが、嘗ては信者名簿というものだった。

 

 ところが現在では信者名簿というものは存在しない。もう少し正確に言えば、信者名簿は存在はしているのだが、一般信者には公開されていないということだ。

 

 コミュニティ毎に設定されているものの中に、教会の掃除当番というのがある。まあ、これは極、普通の事だろう。つい最近だが、この掃除当番の際に、同じコミュニティの人とは思われぬ人が参加していることに気づいた。

 

 同じコミュニティなのはKさんという年配のおばさんだ。同じコミュニティではない筈なのに参加しているのは、このKさんの娘さんでIさんに嫁いで隣のコミュニティに属していると聞いていた。それが最近、私のコミュニティの掃除当番の日に必ずと言っていいほど来ているのだ。最初は、年老いて掃除に十分な参加が出来ない母親に代わって、別のコミュニティなのだが手伝いに来ているのだろうぐらいに思っていた。しかし、そういう状況が長く続くにつれて、もしかしたら年老いた母親の面倒を観る為に、同居して住居が変わり、コミュニティが同じになったのではないだろうかと思うようになったのだ。いかにもありそうな話だ。だが、確かめる術がない。信者名簿が無いからだ。

 

 

 ここまでは枕である。教会の信者名簿が一般公開されていないのは、個人情報保護法を考慮してのものだと聞いている。同じ様な話は、教会信者名簿だけではなく、会社の社員名簿にしても、棲んでいる地域の自治会員名簿にしても学校の生徒家族名簿にしても、存在はしているのかもしれないが、少なくとも公開はされていない。

 

 その事を私を始めとして多くの日本人達は当たり前のようにして受け入れてきた。しかし、私は最近、この事について疑問を抱くようになった。何かおかしくはないのだろうか・・・と。

 

 明らかに生活する上で不便になっている。特に人との繋がりの社会生活についてである。反面、何が良くなったのだろうか。確かに訳が分からないダイレクトメールの類は減った気がする。しかし皆無ではない。要らぬダイレクトメールは確かに迷惑ではあるが、そんな大問題というほどの事ではない。何かの勧誘電話は未だに掛かってくる。しかしこれは固定電話を留守電にして出ない事にして対策済みだ。この為に実際に私に連絡を取りたい人に迷惑を掛けているのかもしれない。

 

 さて、このように個人情報について考えていた昨今だが、つい最近偶々分厚い本を読了した。昨年一時だけマスコミで大きく取り上げられたエドワードスノーデンの事について書かれた本だ。これは2種類あって、ひとつは「暴露」というスノーデンの顔写真が表紙に使われているもの。もうひとつは「スノーデンファイル」という青色の背景に文字だけが掛かれたもの。スノーデンによって公開された情報を共に材料にしているがスタンスは若干異なるという。私は推薦者の佐藤優氏を信じて後者を選んだ。読み終えて戦慄を覚えている。

 

 内容はネタばれになってしまうかもしれないが(フィクションではないのでネタばれとは言わないか)国家が個人の情報をインターネット等のメディアを元に全て管理しているというものだ。ここでいう国家とはアメリカ合衆国のことで、その事自身は秘密裡に行われていたのだが、スノーデンがそれをガーディアンという報道機関に素っ破抜いたのだ。この事は去年から今年に掛けて散々マスコミをも騒がせたのだが、この事の意味をちゃんと報道した報道機関は無かったように思う。まあ、ガーディアン誌しかちゃんとした情報を得ていなかったのだから無理もないかもしれないが。

 

 今年の前半、MOZU 百舌の叫ぶ夜というドラマがあった。その中のプロットで、日本の公安が密かに作った国民から情報を密かに盗み取るシステムがハッカーに乗っ取られるというのがあった。逢坂剛というハードボイルド作家が原作なのだが、最初は荒唐無稽なちょっと無理があるストーリーと思ったが、スノーデンファイルでアメリカでの実態を垣間見て、背筋にぞっとするものを感じた。

 

 その時、気づいたのだった。個人情報保護法特定秘密保護法は表裏一体の法律なのではないだろうか。個人には極力情報を渡さず、国家がその全てを握る。自分の身近に居る人が、何処でどんなことをしているのか知ることが出来ないが、国家はちゃんと密かにそれを知っている。なんだか、ぞっとしないだろうか。