鵜の眼・鷹の眼ご意見番

鵜の眼、鷹の眼の視点で、世の中の不可思議を切り取っていくブログです

平和主義を騙る暴力テロ

 集団的自衛権行使容認の閣議決定が山場を迎えている(らしい)。そんな中で反対を叫ぶ平和主義者(と名乗る)連中の反対デモの様子を、煽るかのようにマスコミが報じている。

 

 彼ら(デモ隊)のシュプレヒコールには知性のかけらも感じられない。ただ扇動され挑発に乗る愚かな民衆としか映ってこない。

 

 集団的自衛権行使容認は、難しい問題だと思う。簡単に賛否は出せない。しかしそういう問題を議論ではなく、抗議行動などで主張を行うというのは暴力にしか過ぎないと私は思う。

 

 例えば、原発反対などとは根本的に異なる。この問題の賛否も難しいが、原発反対には声に出して叫ばなくても理屈はある。福島第一原発の事故が実際に起こってしまった以上は、不安や心配は杞憂であるということは出来ない。却って安全という論理の方に理屈が通っていない。

 

 しかし集団的自衛権行使についてはどうだろう。何故、いけないのか殆どちゃんと語られていない。デモで抗議シュプレヒコールを叫んでいる人の殆どが語る事は出来ないだろうと思われる。

 

 人間は愚かなものだ。過去に学ぶことがなかなか出来ない。日米安全保障条約は無かったほうが日本にとって良かったのだろうか。あんなにデモもして大声を挙げて反対していたではないか。成田空港は無かったほうが良かったのだろうか。あんなに反対があったではないか。自衛隊は無かったほうが良かったのだろうか。隣国の領海侵犯に対してスクランブルをかけることなどしないほうがよかったのだろうか。どうして理性的で論理的な反論が出来ないのだろうか。

 

 確固たる考えも無く、そうした主張の議論もないままで、扇動に乗る馬鹿な民衆は、結局は戦時中に戦争を美化して推し進めてしまったあの時代の日本国民と何等変わらないのではないだろうか。米英鬼畜、欲しがりません勝まではと叫んでいた日本国民と同じではないか。

 

 29日には日本の中で、それも大都会の真ん中で焼身自殺まであったという。この人の真意はまだ報道されていないし、今後も解明されないかもしれない。それでも、この愚かしい行為は誰の心を惹きつけないだろう。チベット民族みたいに、強力な権力の前に何も出来ない絶望からのものとは全く違う。同情の余地も全くない。